Wojciech Kilar (ヴォイチェフ・キラル)

Wojciech Kilar (ヴォイチェフ・キラル)

fot. Wojciech Druszcz / East News

 

作曲家としてのデビューは1950年代末、1960年代初めから、クシシュトフ・ペンデレツキ、ヘンリク・グレツキとともに、新しいポーランド前衛音楽派、特にソノリズムと呼ばれる潮流を創ってきました。1970年代半ばに、キラルは自らの音楽言語を簡素化し、民族音楽の伝統を援用します。彼の諸作品には、強い宗教的インスピレーションが明らかです。キラルは、誰もが好んで演奏・録音するポーランド人作曲家の一人です。自分にとって映画音楽が最も重要なわけではないと言明し、さまざまな理由から映画音楽作曲の申し出の多くを断っていますが、映画音楽作曲家としてのキラルの存在は世界に知らぬ人がいません。

ハリウッドでは、今日でも、キラルに関する逸話が語り伝えられています。祖国から、『ドラキュラ』や『ある貴婦人の肖像』のための素晴らしい音楽だけでなく、それを完全に編曲し、オーケストラのパート譜まで用意して、ハリウッドに乗り込んだというのです。非凡な才能と大いなる謙虚さを併せ持つ作曲家としての彼を物語る逸話です。

映画をめぐる冒険は1958年に始まりました。それ以来、130本以上の映画のための音楽を書きました。アンジェイ・ワイダ(『約束の土地』〔1974〕、『パン・タデウシュ物語』〔1999〕)、カジミェシュ・クツ(『呼ぶ者は誰もいない』〔1960〕、『黒土の塩』〔1969〕、『冠の真珠』〔1971〕、『一切れのパンのような死』〔1994〕)、スタニスワフ・ルジェヴィチ(『ヴェステルプラッテ』〔1967〕、『二人でいる孤独』〔1968〕)、ヴォイチェフ・ハス(『人形』〔1968〕)、タデウシュ・コンヴィツキ(『宙返り』〔1965〕)、マレク・ピヴォフスキ(『航行』〔1970〕)、クシシュトフ・キェシロフスキ(『偶然』〔1981〕)、ロマン・ポランスキ(『ナインスゲート』〔1999〕、『戦場のピアニスト』〔2002〕)などのポーランド人映画監督と、一緒に仕事をしました。

『パン・タデウシュ物語』(1999)のサントラ盤は、プラチナ・ディスクの栄光に輝き、販売数の新記録を打ち立てました。作曲家キラルと特に強い協力関係で結ばれているもう一人の監督は、クシシュトフ・ザヌッシです。『結晶の構造』(1969)に始まる、当監督のほぼ全作品の音楽を書きました。1992年に、ヴォイチェフ・キラルのハリウッド映画をめぐる冒険が始まりました。フランシス・フォード・コッポラが、大作映画『ドラキュラ』への音楽作曲を提案したからです。音楽は大成功を収め、ロサンジェルスで、米国作曲家作詞家出版者協会ASCAPの1992年最優秀賞を受賞し、サン・フランシスコで、1992年ホラー映画ベスト・スコア作曲家賞を受賞しました。キラルは、『死と処女』(1995)やジョニー・デップ主演のホラー映画『ナインスゲート』(1999)、オスカー3部門とカンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した『戦場のピアニスト』(2002)など、ロマン・ポランスキ監督の映画音楽の作者でもあります。『戦場のピアニスト』によって、2003年セザール賞を受けています。

有名な『ピアノ・レッスン』を演出した女性映画監督ジェーン・キャンピオンとの協働からは、ニコール・キッドマン、ジョン・マルコヴィッチ主演『貴婦人の肖像』のための美しい音楽が生まれました。キラルの音楽は、『トゥルーマン・ショー』(『生には生を』の一部)や『シティ・オブ・エンジェル』(『アンゲルス』の一部)などの映画にも流れています。

作曲家の80回目の誕生日を記念して、今年のクラクフ映画音楽フェスティバル(www.fmf.fm) では、さまざまな国立楽団や国立機関との協力のもと、盛大な誕生祝いガラ・コンサートの準備が進められています。ヴォイチェフ・キラルとともに仕事をする光栄にあずかった、多くの監督、俳優、映画界の有名人物が参加する予定です。

2013年12月29日に長い闘病生活の末カトヴィツェで亡くなりました。享年81歳。

http://wojciechkilar.pl/