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ユダヤ人を救ったポーランド人を知る シリーズ④タデウシュ・ロメル

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タデウシュ・ロメル(Tadeusz Romer・1894-1978)は、1937~41年(39年からポーランドは亡命政府)に赴任していた初めての駐日ポーランド大使。1942年から43年はソビエト連邦で大使を務め、1944年11月からは亡命政府スタニスワフ・ミコワイチク内閣の外務大臣であった。

1920年代は外務省員として、パリ、ローマ、リスボンで外交官としての仕事に従事。駐日ポーランド共和国大使となったのは国際関係に緊張が走り、戦争の雰囲気が増していた時期で、第二次世界大戦勃発後も東京にあったポーランド大使館は亡命政府の代表として役目を果たしていた。

当時、日本には東ヨーロッパからの避難民の波が押し寄せていた。1940年8月から41年の間、日本に辿り着いたのは2185名、そのうちの多くはユダヤ人、特にリトアニアのヴィリニュスとカウナスからの人が多かった。彼らの大部分はウラジオストク経由でオランダの架空のビザもしくは日本の通過ビザ(トランジット・ビザ)を持っており、これはポーランド側と協力をした在カウナス日本国領事 杉原千畝が発行したものだった。

1940年10月、ロメル大使は東京に戦争難民救済委員会を設置、これを指揮したのは大使夫人のゾフィア・ロメルであった。委員会役員は敦賀港(乗り換え地点)に待機し、そこから神戸、横浜、東京へ向かって次なる助けの手の元へユダヤ人を送る手助けや、パスポートやビザの手配等を行った。

1941年10月、日本とポーランドの国交断絶を受け、大使館員は上海へと移動することとなった。上海でも救済委員会は活動を継続し、「上海記帳(仮訳。原語:Księga Szanghajska)」に救出した人々の名簿を記録した。

1945年からロメル夫妻は移民となり、最初にロンドン、次にカナダへ移住。タデウシュ・ロメルはカナダのモントリオールでマックギル大学の教壇に立ち、1963~78年にはポーランド科学研究所の所長を務めた。

コミックスは駐日ポーランド共和国大使館より借用。
https://www.youtube.com/watch?v=oC3rwYUmo5g (タデウシュ・ロメルに関する動画。英語字幕)

 

 

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ユダヤ人を救ったポーランド人を知る シリーズ

①ヤン・カルスキ;http://instytut-polski.org/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/8640/
②ヴィトルド・ピレツキ;http://instytut-polski.org/event/8670/
③イレナ・センドレル;http://instytut-polski.org/event/8687/

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