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ワールドユースデークラクフ

過去のイベント, その他

Fot. M.Jasiulewicz MSZ PAP
Fot. M.Jasiulewicz/MSZ; PAP

教皇フランシスコ、ポーランドでの歓待に謝辞を述べられる

フランシスコ ローマ教皇は、7月31日の日曜日に、5日間に渡る、自らにとって最初のポーランド聖地巡礼を終えられました。教皇のポーランドご滞在は、主にワールドユースデーへの参加が目的でしたが、この機会に、ポーランド国家首脳と一連の会談を行い、さらに、ヤスナ・グラやポーランド占領中にナチスドイツが建設したアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所などをご訪問になりました。

フランシスコ教皇は7月27日(水)、公式訪問のためポーランドに到着されました。空港での簡素な歓迎式の後、教皇は、ヴァヴェル王城に向かわれました。そこで、盛大な歓迎式典が催されました。

フランシスコ教皇は、ヴァヴェル王城でのご挨拶で、中東欧を訪問するのはこれが初めてであり、その最初の地になったのがポーランドであること、すなわち、ワールドユースデー発案者であり、普及者でもあった、忘れることのできない聖人ヨハネ・パウロⅡ世自身を、わが子として産み落とした国を最初に訪れることができことへの喜びを表明されました。

フランシスコ教皇、ポーランドのキリスト教受容1050周年記念ミサを司る

7月28日(木)、フランシスコ教皇は、ヤスナ・グラ(チェンストホヴァ)に向かわれました。ヤスナ・グラの聖母聖堂において、今年が1050周年にあたるポーランドのキリスト教受容への感謝を表すミサの中で、説教のお言葉を述べられました。

教皇は、説教で、ポーランド史に言及されました。福音書、十字架、教会への忠誠心によって形成された歴史であることを、強調されました――「ポーランドの歴史は、家族から家族へと、父から父へと、いやまずは母親たちと祖母たちによって伝えられてきた真実の信仰の証でした。ポーランドの女性たちに、深く感謝しなくてはなりません」

修道院の丘上に設置された屋外祭壇で司式されたミサには、ポーランド政府首脳――アンジェイ・ドゥダ大統領、ベアタ・シドウォ首相、ヴィトルト・ヴァシュチコフスキ外務大臣が出席しました。

クラクフに戻られた後、教皇は、クラクフ市ブウォニェに赴かれ、そこで、青年たちによる教皇歓迎式典が催されました。

アウシュヴィツ=ビルケナウ強制収容所ご訪問

7月29日(金)には、ドイツ占領下にナチスによって建設されたアウシュヴィッツ絶滅収容所跡を訪問されました。教皇は、前任の教皇お二人、ベネディクトⅩⅥ世とヨハネ・パウロⅡ世がこの地でなされたのと同様に、「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」と書かれた門を通られました。フランシスコ教皇は、「死の壁」の前に蝋燭を灯され、黙祷を捧げられました。

アウシュヴィッツ収容所をご訪問中、フランシスコ教皇は、75年前に収容されていた他の囚人の命を救うために自らの生命を犠牲にした、マクシミリアン・コルベ神父の餓死房でも祈られました。

クラクフ・ワギェヴニキでの「和解の典礼」

7月30日(土)に、フランシスコ教皇は、クラクフのワギェヴニキに向かわれ、青年たちの参加の下、「和解の典礼」にご臨席になりました。青年たちとフランシスコ教皇の徹夜祷の主要なテーマとなったのは、回心、若者たちの戦争をめぐる屈従と苦悩、赦しの問題、最先端技術に支配された世界での孤独でした。

使いのミサ――ワールドユースデー(WYD)閉幕

ブジェギにある「慈悲のキャンパス」で催された「使いのミサ」は、フランシスコ教皇のポーランドご訪問5日目(最終日)の最重要行事でした。ミサには、アンジェイ・ドゥダ大統領、ベアタ・シドウォ首相、リシャルト・テルレツキ下院副議長、ヴィトルト・ヴァシュチコフスキ首相府代表、アントニ・マツェレヴィチ国家防衛大臣、マリウシュ・ブワシュチャック内務行政大臣など、国家首脳が列席しました。

フランシスコ教皇は、ワールドユースデーに参加した人々、その運営に努められたすべての人々に感謝されました。「親愛なる若人のみなさん、大いなる感謝を、みなさまにお送りいたします。みなさんは、クラクフをみなさんの信仰の情熱で満ち溢れさせました。その情熱は他の人々に伝わっていきます」――と述べられたのです。

教皇は、スタニスワフ・ジヴィッシュ枢機卿 (クラクフ大司教)並びにスタニスワフ・リルコ枢機卿(聖人に関する教皇新議会議長)に答辞を述べられ、WYDをめぐるご尽力に感謝されました。さらに、今回の催事を準備し、その円滑な運営を実現にしたすべての人々へのお礼の言葉を語られました。

「お告げの祈り」の最後に、フランシスコ教皇は、次回ワールドユースデーは、2009年にパナマで開かれる、と発表されました。

諸情報を取りまとめると、7月31日(日)、ブジェギ「慈悲のキャンパス」には、150~200万人が集まりました。

12時すぎにフランシスコ教皇はブジェギ「慈悲のキャンパス」を発たれ、クラクフ大司教館に向かわれました。クラクフ教区庁では予定通り教皇随行団との昼食会が行われ、マリウシュ・ブワシュチャック内務行政大臣と面談されました。その際教皇は、WYD期間中の治安維持にあたったすべての警備員にお礼を述べられ、短時間ではありましたが「教皇の窓」にそのお姿を見せられました。すべての人々に祝福を与え、私にもお祈りを捧げてくださいとお願いされました。

「熱烈な歓迎、どうも有難う――私はこの数日間を、それに包まれてすごしました」と言われました。

クラクフ教区庁職員にお別れを告げられた後、フランシスコ教皇は、クラクフ・アリーナで、ポランティア、WYD組織員会、その他、有志のみなさまとの集いに向かわれました。その場で教皇が述べられたのは、「記憶と勇気は、人が『将来の希望』となるための二つの条件である」ということです。「勇敢であるように、そして、年長者となるべく多く対話し、その叡智を汲み取りなさい」――これが若者たちへの忠言でした。

フランシスコ教皇は、クラクフ・アリーナからバリツェ空港に向かい、ローマへの離陸前に、アンジェイ・ドゥダ大統領に面会されました。空港での送別式典には、大統領ご夫妻の他、ベアタ・シドウォ首相、内閣閣僚、スタニスワフ・ジヴィシュ大司教が列席しました。

「ポーランドからローマへの帰国の途に就こうとしている今、大統領閣下並びポーランド全国民に対し、温かいご歓迎とご歓待に心底よりの感謝を表明したいと思います」――ポーランドを離陸する際に大統領に宛てて発せられた電報に、教皇はこう書かれています。

PAP(ポーランド情報エージェンシー)、ポーランド外務省

 

7月31日――フランシスコ教皇、ポーランド訪問を終えられる

教皇は7月27日に公式訪問のためポーランドに到着され、その日のうちに、ヴァヴェル王城ではポーランド共和国大統領、政府首脳、外交団が、ヴァヴェル大聖堂ではポーランド司教団が教皇に拝謁しました。

7月28日に、教皇は、チェンストホヴァ市のヤスナ・グラ修道院で、ポーランド王洗礼1050年記念ミサを司られました。

7月29日には、ドイツ占領下にナチスによって建設されたアウシュヴィッツ絶滅収容所跡を訪問され、「死の壁」の前に蝋燭を灯され、黙祷を捧げられました。「神よ、あなたの民にご慈悲を! 神よ、かくも多くの残虐がなされたことをどうかお許しください」――フランシスコ教皇が、マクシミリアン・コルベ神父が収容されていた囚人房の前で、来訪者名簿に記されたお言葉です。

7月30日に、教皇は、ワギェヴニキの「神のいつくしみ」聖堂にて、青年たちの参加の下、「和解の典礼」を司式されました。ブジェギの「慈悲のキャンパス」に着かれてから、若者との徹夜祷が行われました。

7月31日はご訪問最終日、「慈悲のキャンパス」にて「使いのミサ」が行われ、ワールドユースデー(WYD)は閉幕しました。教皇は、次回WYDの開催場所と年次を発表されました(2019年、パナマ)。その日の夕刻、教皇はポーランドご訪問を終えられました。

「ポーランドからローマへの帰途に就こうとする今、私は、大統領閣下と全ポーランド国民に対し、熱烈な歓迎と歓待への深い感謝の意を表したいと思います」――教皇は、ポーランド共和国大統領に宛てた電報にこう認められました。

 

フランシスコ教皇、ポーランド王洗礼1050周年記念ミサを司る

木曜日、フランシスコ教皇は、ヤスナ・グラ(チェンストホヴァ)で、ポーランド国王洗礼1050周年記念ミサを司られました。教皇は説教の中で、信仰の証にあふれた神の賜物としての千年間について述べられ、ポーランドを常に見守り続けた神に感謝されました。修道院の丘上に設置された屋外祭壇で司式されたミサには、ポーランド政府首脳――アンジェイ・ドゥダ大統領、ベアタ・シドウォ首相、ヴィトルト・ヴァシュチコフスキ外務大臣が出席しました。数十万人の信者が、ヤスナ・グラの大広場、近くの公園、街の中心につながる聖母マリア通りに集結しました。

聖職者たちは教皇に、「ポーランドにおけるキリスト教宣教が重ねたと同じだけの年齢を重ねた材木」で作られた十字を贈りました。それに先立ち、ポーランド大司教ヴォイチェフ・ポラクは、この十字架は霊的指導者がこの地に来られたことへの感謝のしるしであり、「歴史を貫く絆のしるし」だと述べました。

教皇はチェンストホヴァからクラクフにお戻りになられ、午後にはWYD参加者との対話に加わられ、夕方にはフランチシュカンスカ(フランシスコ会)通り3番地の「教皇の窓」から信者のみなさまに挨拶の言葉を述べられる予定。

 

フランシスコ教皇、ヴァヴェル王城で盛大な歓迎を受ける

フランシスコ教皇は、7月27日(水)にヴァヴェル王城に到着され、その場でポーランドへの公式歓迎式典が催されました。ポーランド共和国とポーランド国民を代表して教皇をお迎えしたのは、アンジェイ・ドゥダ大統領。

「教皇をお迎えできるのは、私にとって類稀の光栄であり喜びです――ポーランド共和国、私のすべての同胞たち、ご来賓のみなさま、そして教皇にお目にかかるためにここに集まった若人たちを代表して、しかも、ポーランドのクラクフという土地で、ワールドユースデーという前代未聞の素晴らしい魂の宴(うたげ)、大いなる歓喜の祝いにお迎えできるのですから」――ドゥダ大統領は、思いを込めてこう述べた。

ポーランド人にとって極めて重要なのは、この「大きな出来事――喜びの出来事、心の出来事、いやそれ以上に魂の出来事が、聖ヨハネ・パウロⅡ世所縁(ゆかり)の都市であるクラクフで行われることです」(大統領の歓迎の辞より)。

大統領はフランシスコ教皇に向けて、こう言明しました――1979年に教皇ヨハネ・パウロⅡ世が初めてポーランドの聖地を巡礼されたとき、ワルシャワで「すべてのポーランド人の心に浸み込む有名な言葉」を述べられた。

「ヨハネ・パウロⅡ世はこう言われたのです――『神よ、あなたの魂が地上に降りますように、そして地上の、そうこの土地の有り様を改新してくださいますように』と。そして、それが現実になりました。1989年以後、ポーランドの土地の有り様は、政治的変化と、信仰を持つ人々を迫害し、司祭を迫害しさらには殺害した前政権の退陣によって、改新されました。前政権を撤退に追い込み、ポーランド人は再び自由を手に入れたのです」――大統領はそう述べました。

教皇曰く「最初にポーランドを訪れることができて、私は嬉しい」

「私が中東欧を訪問するのは初めてです。そしてその最初の地になったのがポーランド、すなわち、ワールドユースデーの発案者であり、普及者であった、忘れることのできない聖人ヨハネ・パウロⅡ世自身を、わが子として産み落とした国を最初に訪れることができて、私は嬉しい」――フランシスコ教皇は水曜日、ヴァヴェル王城でのご挨拶の冒頭にそう述べられました。

フランシスコ教皇は、ヨハネ・パウロⅡ世はヨーロッパについて、それは二つの肺臓――東と西の肺臓――で呼吸している、と言われたことを引用しました。そして、ヨーロッパの新しい人道主義とは東と西の調和に他ならないと、強調されました。

「新しいヨーロッパ人道主義の夢は、こうしたふたつの肺臓とキリスト教を最大の源泉とする共通の文化によって、生命を得ています」と教皇は心を込めて述べられ、ヴァヴェル王城前の広場に集まった政府・教会・大学総長・外交の各代表団を歓迎されました。

 

ワールドユースデーの開会ミサ

今年7月26日 (火)の午後、クラクフ市ブウォニェにて、2016年WYDクラクフ大会の開会ミサが始まりました。若い巡礼者達は、ワールドユースデーのシンボルである十字架と聖母のイコンSalus Populi Romani」を手に、聖体行列 (プロツェシア) に臨みました。

「私達は、信仰と不信仰、善と悪、愛とその対極にあるものの間で、今日の世界の課題に直面することが出来るのです。」と、スタニスワフ・ジヴィッシュ枢機卿 (クラクフ大司教) は、開会ミサで述べました。

厳粛なワールドユースデーの開会ミサには、世界中の枢機卿や司教をはじめとする約20万人が参列し、その中にはモスクワ総主教の姿もありました。スタニスワフ・ジヴィッシュ クラクフ大司教は、ブウォニェに集まった青年達を6カ国語で歓迎しました。

ジヴィッシュ枢機卿は更に、「3年前から待ち望んでいた時が遂にやって参りました。」と続け、ワールドユースデーの参加者は世界各所から集まり、様々な言葉を話しますが、「今日からはお互い、福音書の言葉で話します。」、「それは愛の言葉です。それは、兄弟の、共通の、平和の言葉です。」と強調しました。

また、クラクフはカロル・ヴォイティワ 聖ヨハネ・パウロ2世の町、とりわけ神の慈悲と縁の深い町であり、彼は教会に仕える為に育ったと語りました。

詳細情報 (英語): http://www.msz.gov.pl/en/news/wyd/news/world_youth_day_officially_begins_in_krakow

 

2016年ワールドユースデー(WYD)クラクフ大会 開催中

726()31()、世界中からの巡礼者が「あわれみ深い人々は、幸いである、その人たちはあわれみを受ける」(マタイ57)のテーマのもと、クラクフに集結します。ワールドユースデー(世界青年の日)は、クラクフ郊外のブジェギにて、第266代ローマ教皇フランシスコの司るミサで幕を閉じます。

今年のワールドユースデーは、既にポーランドの全教区で始まっています。世界中からの巡礼者は、7月20日(水)よりポーランド人家庭に滞在し、ポーランドの歴史や伝統、文化に触れています。7月26日(火)、若者達はローマ教皇フランシスコを囲んだ集会に参加すべく、古都クラクフへ向かいます。

ローマ教皇フランシスコは、7月27日 (水) よりクラクフに滞在。この日、ヴァヴェル大聖堂では、アンジェイ・ドゥダ ポーランド共和国大統領臨席のもと、歓迎セレモニーが開かれます。その翌日、ローマ教皇は、ポーランドのキリスト教受容1050周年を記念して、チェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院でミサを司ります。7月29日(金)、教皇はポーランド南部オシフィエンチムへ向かい、ナチス党政権下のドイツによって建設されたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で祈祷します。7月30日 (土)、クラクフのワギェヴニキにある「神のいつくしみ大聖堂」にて、若者達の参列のもと「和解の典礼」が開かれます。その夜、教皇はブジェギの “慈悲のキャンパス” にて、19:30より若者達と徹夜祷を行います。日曜日、ローマ教皇フランシスコは青年カトリック信者集会の幕を閉じるミサを司ります。同日、教皇より、次回のワールドユースデーの開催地と開催年が発表されます。

ローマ教皇フランシスコは、公式発表されたメッセージにて、「ワールドユースデーは、最愛のポーランド国民に出会うことのできる、喜ばしい機会です。」と伝えました。また、教皇は更に、「世界中から集まる若者達との出会いは、“いつくしみの特別聖年”、そして、ワールドユースデーの創始者であり、自由を目指したポーランド国家の歩みを世に伝えた“聖ヨハネ・パウロ2世” への感謝と献身のもとに開かれます。」と表しました。

ポーランド外務省は、国家記銘院並びにポーランド人名誉毀損防止同盟“名誉の砦”と共同で、巡礼者の為のガイドブック並びに巡礼者受け入れ家族の為の参考書を発行。1冊目、ポーランド外務省と国家記銘院の共同出版書である「1050年-966~2016年のポーランド史 (英語: https://issuu.com/msz.gov.pl/docs/a_guide_to_the_history_of_poland)」は、外国人巡礼者を対象とした“ポーランド史の大要”で、下記9ヶ国語で発行されました:英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語、ポルトガル語、ロシア語、ウクライナ語、イタリア語。2冊目の「ポーランド性の大使」は、巡礼者を受け入れるポーランド人家庭の為に作成されたポーランド・プロモーション用ガイドブックで、ポーランド外務省とポーランド人名誉毀損防止同盟“名誉の砦”の共同で、25万部発行されました。

今回が2回目となるポーランドでのワールドユースデー。前回は1991年、チェンストホヴァで世界中から集まった若い巡礼者を受け入れました。ワールドユースデーの先導者は、第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世で、その日付が公的に設定されたのは、1985年12月20日とされています:ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がクリスマスの集会で、「世界青年の日」が教区の集会として毎年「枝の主日(復活祭の一週間前の日曜日)」に開かれること、また、2~3年毎に、国際的なワールドユースデーとして開催されることを切に願い訴えた時です。第一回目のワールドユーズデーは、イスラエルの首都ブエノス・アイレスで開催されました。

ポーランド外務省・広報部

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