ポーランドについて

ヴォイチェフ・イエジー・ハス

Wojciech Jerzy Has

 

1925年4月1日、クラクフ生まれ。父方はユダヤ人、母方はカトリック信者の家系。彼らの息子であるハス自身は、不可知論者。
 第二次大戦中(ナチス占領期)にクラクフの実業学校で学び、次いでクラクフ芸術アカデミーの地下クラスを(1943年に解散となるまで)聴講。その後、鉱山労働に従事したり、出版社の挿絵部門で短期間仕事をしたりした。1945年にクラクフの美術アカデミーに入学し、1947年まで同校で学ぶ。同時に、クラクフに設立された「青年映画学校」でも学び始める。1946年に同校の一年コースを終えて卒業した後、1947年に初の短編無声劇映画『ハーモニー』(未)を監督するが、公開に至らなかった。1949年よりワルシャワ記録映画スタジオで記録映画を監督し始めるが、作品が当局に認められずお蔵入り。記録映画スタジオから、ウッチにある教育映画スタジオに移籍させられる。同スタジオに1956年まで在籍し、数本の教育映画を手がけた。
 長編劇映画の第一作は、アルコール中毒の青年を主人公とする『輪結び』(58、未)。1958年に創設されたイエジー・ボサク主導の製作プロダクション「カメラ」に参加、1968年に同プロダクションが解散するまで在籍し、『相部屋』(59、未)、『黄金』(61、未)、『愛される方法』(63)、『サラゴサの写本』(65)、『暗号』(66、未)、『人形』(68)といった代表作を発表。その後、「シレジア」で『砂時計』(73)を監督した。リアリズム描写が隆盛を誇る時代にあって、ハスの作風は歴史的・政治的主題を避け、登場人物の深層心理や(文学作品に基づく)超現実的な幻想世界を独特の様式美で探求し続ける特異なものだった。『砂時計』以後、しばらく監督業から遠ざかるが、1983年にチェーホフの原作に基づく久しぶりの監督作『退屈な話』(未)を発表。遺作は『バルタザル・コベルの艱苦』(88、未)。
 1974年、ウッチ映画大学監督学部の教授に就任。1981年から1987年にかけ、映画製作プロダクション「ロンド」の芸術監督として活躍した。1989年から1990年にかけては、ウッチ映画大学監督学部長に就任する。続いて1990年から1996年まで、二期連続で同大学の学長を務めた。
 2000年10月3日、ウッチにて死去。

 

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http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp124894

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=20003

http://movie.goo.ne.jp/cast/c54315/index.html

 


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