ポーランドについて

ミェチスワフ・カルウォーヴィチ

作曲家、指揮者。1876年12月11日ヴィシュニェーヴォ(当時リトアニア、現ベラルーシ領)生まれ。1909年2月8日タトリ山脈にて没す。

生涯
リトアニア領ヴィシュニェーヴォ(ヴィシュニェフとも)に生まれたカルウォーヴィチは、一家とともにハイデルベルク、プラハ、ドレスデンなど各地を転々とした後、1887年にワルシャワに居を定めた。いずれの都市でも音楽学校に通うなど音楽に囲まれた環境で育ち、国外滞在中にオーケストラやオペラの演奏会に足を運んでは、ビゼーやヴェーバー、ブラームス、スメタナなどの作品を知る機会を得た。7歳からはヴァイオリンの個人レッスンを受け、ワルシャワ定住後はズィグムント・ノスコフスキらに和声を習い、他にも対位法や音楽様式を学ぶと同時に、作曲もし始めた(現存する最初の作品はピアノ曲《5月の歌》)。1895年にはヴァイオリン留学を志しベルリンに赴くが、最終的にハインリヒ・ウルバンのもとで作曲を学ぶことになった。1895~96年の間に、現存する彼の独唱歌曲22曲のほとんどが作曲されている。同じく留学中の90年台終わりにはカルウォーヴィチは交響曲《再生》の作曲に着手した(完成は帰国後)。1901年にワルシャワに戻ると、03年からはワルシャワ音楽協会の理事として活動、同協会付きの弦楽合奏団を創設し指導にあたるなど、ワルシャワの音楽生活再興のために尽力を惜しまなかった。その後はもっぱら交響詩という一ジャンルの作曲に取り組み、1904~09年の間に6曲の交響詩を書いている(作品9~14)。かねてよりタトリ山脈に対する深い愛着を抱いていたカルウォーヴィチは、1906年ザコパネに居を移し、山岳活動にも熱心に取り組むようになった。彼の早すぎる死はスキー中に雪崩に巻き込まれたためであった。

作品
カルウォーヴィチの作曲は6曲の交響詩(《寄せ返す波》作品9、《リトアニア・ラプソディ》作品11ほか)がその主要部分を占めている。その他のジャンルの作品は数少ないが、若書きながら魅力に溢れる一連の歌曲や、《弦楽のためのセレナーデ》作品2、《ヴァイオリン協奏曲 イ長調》作品8などいずれも優れた作品であり、彼の人生がもっと長ければその数も種類もより豊かなものとなったに違いない。ヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウスの影響を受けたカルウォーヴィチの音楽は20世紀初頭のポーランドでは一種の裏切りとも受け取られ、なかなか正当な評価を得ることができなかった。しかし交響詩《スタニスワフとアンナ――オシフィエチム兄妹》作品12(1906年)、同《悲しい物語》作品13(1908年)が相次いでワルシャワ・フィルハーモニーで演奏されるなど次第に作曲家としての立場を築いて行った。1909年初めにはついに、ワルシャワ・フィルで演奏された交響詩《永遠の歌》作品10(1906年)が大成功を収め、その後の作曲活動、ひいてはポーランドを代表する作曲家としての活躍が嘱望されたにもかかわらず、カルウォーヴィチが不慮の死を遂げたのはそのわずか3週間後のことであった。

楽譜情報
ポーランド声楽曲選集 第3巻『カルウォーヴィチ歌曲集』(2016年12月刊行)
http://instytut-polski.org/event/music/7400/
編者: 関口時正、重川真紀、小早川朗子
出版社: 株式会社 ハンナ
企画・監修: NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会
後援・協賛: ポーランド広報文化センター