ポーランドについて

ミハウ・ウルバニャク

ヴァイオリン奏者、サックス奏者、作曲家。1944年1月22日ワルシャワ生まれ。女性ヴォーカリストUrszula Dudziakは元妻。ポップ&ジャズ・シンガーのMika Urbaniakは実の娘。

幼少期よりヴァイオリンを学び、旧ソ連の大ヴァイオリニスト、ダヴィド・オイストラフからも直接指導を受けるほどの神童だったが、サックスやジャズ・マナーは独学で身につけた。ジャズ・バンドでの最初の演奏はディキシーランド・スタイルのジャズだった。1961年にサックス奏者Zbigniew Namysłowskiのモダン・ジャズ・コンボJazz Rockersに加入し国内の各地をツアーする。1962年にはNamysłowskiと共に、ピアニストAndrzej TrzaskowskiのバンドThe Wreckersに参加し、ニューヨークやシカゴなど各大都市のジャズ・クラブをツアーした。同グループのアメリカ・ツアー終了後はピアニストKrzysztof Komedaのバンドの北欧ツアー・メンバーとしてコペンハーゲンやストックホルムで演奏した。その北欧ツアーがきっかけで、後に妻となるヴォーカリストUrszula Dudziakらが参加した自身のグループでの長期北欧ツアーを敢行し、しばらくポーランドを離れていた。

北欧ツアーから戻ると、健康上の理由からメインの楽器をヴァイオリンにスイッチし、オルガン奏者Wojciech KarolakやDudziakらと新しいバンドMichał Urbaniak Groupを結成。『Parathyphus B』や『Inaction』などのアルバムを数枚リリースする。1971年にスイスのモントルーで行われたMontreux Jazz Festivalでは同グループで出演し、ウルバニャクはベスト・ソロイスト部門でグランプリを獲得した。この受賞で獲得したアメリカのバークリー音楽大学への留学費用を移住資金に充て、Dudziakらと共に1973年にアメリカに活動拠点を移す。バークリーには入学しなかった。

70年代には故Kenny KirklandやMarcus Miller、Lenny White、Steve Gadd、Anthony Jacksonら同世代のアメリカ人ジャズ・ミュージシャンたちと交流し『Fusion III』『Body English』などのリーダー・アルバムを次々とレコーディング、リリースする。また、1981年にはパナマ出身のドラマーBilly CobhamのバンドGlass Menagerieに加入する。1985年にはMiles Davisのアルバム『TuTu』のレコーディングに参加した。70~80年代を通じて、トランペット奏者Tomasz Stańkoと並んで最も国際的に活躍したポーランド人ジャズ・ミュージシャンだと言える。器楽奏者としてはヴォコーダーを使用したシンセサイズド・ヴァイオリンや、ウインド・シンセサイザー「リリコン」の先駆的存在として知られる。

90年代以降は自身のレーベルUBX Recordsを設立し、新作のリリースを続ける一方自身の過去作品のリイシューに努めている。近年はポーランドでの演奏活動も増えており、伝説的なプログレッシヴ・ジャズ・ロック・グループSBBとの共演ライヴを2015年にリリースした。

映画音楽家としても高く評価されておりクシシュトフ・グラウゼ監督『借金』やマリウシュ・トレリンスキ『秋への別れ』など日本の映画ファンにもおなじみの名作にも音楽を提供している。またピョトル・チシャスカリスキ監督『Mój rower』では俳優として出演している。

http://www.urbaniak.com/