ポーランドについて

ユリアン・トゥヴィム

1894年9月13日ウッチ生まれ、1953年12月27日ザコパネで死去。ユダヤ系の詩人、翻訳家。

1916-18年、ワルシャワ大学で法律と哲学を学ぶ。1913年、詩「願い」が初めて活字になる。1918年、文学キャバレー「ピカドル」を創立、月刊誌「スカマンデル」、週刊誌「文学ニュース」の主要な寄稿者になる。トゥヴィムは、文学グループ「スカマンデル」を代表する詩人である。同グループに属する著名詩人に、ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィチ、ヤン・レホン、アントニ・スウォニムスキ、カジミェシュ・ヴェジンスキなどがいる。「まじめな」詩のほかに、風刺詩でも人気を博した。第二次世界大戦勃発後、ルーマニア、フランス、ポルトガル、ブラジルを経て、1942年にニューヨークに亡命。1946年6月、ポーランドに帰国。

最初期の詩作は、先行する「若きポーランド」派のモダニズムを拒絶しつつ、同時代のロシア(未来派)、ドイツ(表現主値)詩や、ホイットマン、ランボーなどの19世紀詩の影響下に書かれた。純粋抒情詩が多く、社会的要素は乏しい。 1920-30年代の詩作はより内省的で、古典詩(コハノフスキ、ミツキェヴィチ、プーシュキン)の影響が現れてくる。風刺詩のジャンルでの代表作「歌劇場での舞踏会」(1936)も、この時期に書かれた。 戦間期末期には、トウヴィムの全作品中、今日最も愛唱されている児童詩(「蒸気機関車」「アルファベット」など)が生まれた。 戦争中の詩人は、「ポーランドの花々」(1949)の執筆に専念した。これは、ロマン主義的な多ジャンル混交体を目指した抒情的・叙事的長詩である。 帰国後の詩人は、戦後ポーランドの体制を肯定する、メッセージ性の強い詩を発表した。

オリジナルな創作のほか、ロシア文学の古典を多数ポーランド語に翻訳したことでも知られる。『イーゴリ軍記』、プーシュキン『オネーギン』、ゴーゴリ『検察官』など。ギリシャ古典、アメリカ、フランスの古典詩の訳業もある。 ポーランド史の時代別主題別アンソロジーの編集も大きな業績である。

 

日本語で読める作品――

 浅井金蔵訳「わが人生」、山室静(訳者代表)『世界名詩集大成 15 北欧・東欧篇』平凡社、1960年所収。

伊藤比呂美訳「アルファベット他四篇」、関口時正ほか訳『ポーランド文学の贈りもの』恒文社所収。

スズキコージ(文・絵)『ガブリシ』 ブッキング。