ポーランドについて

ヘンリク・ヴィニャフスキ

ヴァイオリニスト、作曲家、教育者。1835年7月10日ルブリン生まれ。1880年3月31日モスクワ没。

生涯
医者の父タデウシュと母レギーナの間に誕生。ヴィエニャフスキ家はルブリンにおける正真正銘のサロンであった。一流の芸術家らが訪問しては頻繁にコンサートや芸術談義が行われたこの家庭環境はヘンリク・ヴィエニャフスキだけでなく二人の兄弟(ユリアン、ユゼフ)のその後の人生にも大きな影響を与えた。

ヘンリクの最初の師となったのはピアノをよく嗜む母だった。次いでワルシャワのテアトル・ヴィエルキ所属のヴァイオリン奏者ヤン・ホルンジェル、ブダペスト歌劇場ソリスト兼コンサートマスターのスタニスワフ・セルヴァチンスキにヴァイオリンを習った。1843年には弱冠8歳にしてパリへ留学、パリ音楽院にてジョゼフ・ランベール・マサールの指導のもと学び、1846年には一等賞と金メダル付で同音楽院を修了している。卒業後もマサールのもとで研鑽を積み、その後2か月間にわたりペテルブルク、バルト海沿岸諸国、ワルシャワでコンサート活動を行った。1849年には再びパリ音楽院へと戻り、今度は作曲を学び、翌年には特別賞付きで修了している。

1850年にはピアニストの弟ユゼフとともに演奏活動を開始、ロシア帝国のあらゆる主要都市でコンサートを行った後、ヨーロッパ諸国を巡り大変な熱狂を呼び起こした。1855年にユゼフとのデュオを解散した後も、パリ、ブリュッセル、ドレスデン、ロンドンなどで成功を収めている。1860年にはロシア帝国の宮廷第一ヴァイオリン奏者およびロシア音楽協会ソリストの地位を得、同協会音楽教室(1862年には音楽院に改編)でヴァイオリン教師としての務めも担った。彼がペテルブルクで創始したこのヴァイオリン指導の成果は、後にレオポルト・アウアーによって築き上げられるヴァイオリンのロシア・スクールとして結実する。この間も毎年3,4ヵ月はヨーロッパ諸国(オランダ、ベルギー、英国)などでのコンサート活動を続けた。1860年にはイザベラ・ハンプトンと結婚、自らの作品《伝説》(作品17)を献呈している。

1872年、12年間滞在したロシアを離れ、アントン・ルビンシュテインとともにアメリカ合衆国での大規模な演奏旅行を行った。8か月の間に二人は215もの公演を行ったのだ。ヴィエニャフスキはこの後1874年までアメリカに残り、有名な歌手パウリーナ・ルカとのコンサート活動を続けた。1874年にヨーロッパに戻った彼はブリュッセル音楽院で教鞭を執ることになった。1877年まで同職にあったが、彼の生徒の中にはウジェーヌ・イザイの名がある。心臓の病と過度の肥満のため、晩年はステージ上でも椅子に座ったまま演奏した。モスクワで没した後、亡骸はワルシャワに葬られた。彼の葬儀には4万人もの参列者があったという。

音楽
ヴィエニャフスキは目を瞠るような演奏技術を自在に操るヴァイオリンのヴィルトゥオーゾであっただけでなく抒情的な演奏でも知られ、たびたびヴァイオリンの詩人とも評された。類まれなるヴァイオリン奏者であると同時に作曲家としても音楽史に名を残しており、ヴァイオリンの超絶技巧を要する作品や抒情的な作品が多い。

ポロネーズをヨーロッパのヴァイオリン音楽界に紹介し広めたのもヴィエニャフスキの功績の一つに挙げられる。《ポロネーズ ニ長調》(作品4)や《ポロネーズ イ長調》(作品21)は今日でもよく演奏されるレパートリーとなっている。初期の頃の作品には憂愁さを帯びたものや舞曲風のサロン向けの小品が多い。彼の作品のうち最も知られ、録音や演奏会で取り上げられる機会の多いものに《ヴァイオリン協奏曲 ニ短調》(作品22)がある。作品の構想は1855年に生まれたものの、完成をみたのはその7年後となっている。これ以前に、18歳の頃に描いた《ヴァイオリン協奏曲 嬰へ短調》(作品14)は今日ではよりマイナーな存在であるが、初演当時はたちまち聴衆の熱狂を博した。翻ってニ短調の方はその価値を認められるまでに年月を要している。

典型的な超絶技巧作品として最もよく演奏されるのは《スケルツォ・タランテラ》(作品16)や、他の有名な旋律を主題にした数々の変奏曲・幻想曲である。グノーの歌劇《ファウスト》のテーマをもとにした変奏曲は数多くのヴァイオリン奏者が作曲を手掛けているが、初演から6年後にヴィエニャフスキが書いた《〈ファウスト〉の主題による華麗なる幻想曲》(作品20)が最も演奏頻度の高いものとなっている。ヴィエニャフスキの抒情性を最もよく表す作品の一つが《伝説》であり、オリジナルは管弦楽伴奏つきのヴァイオリン独奏曲だが、現在はピアノ伴奏でよく演奏される。

関連事項
ポーランドでは1935年以降、占領下の時期を除き5年ごとにヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールが開催されている(開催地は1935年はワルシャワ、1952年以降はポズナン)。

ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール http://www.wieniawski.pl/mks.html
ヴィエニャフスキ音楽協会(ポズナン) http://www.wieniawski.com/
ヴィエニャフスキ音楽協会(ルブリン) http://hosting3.lubman.pl/~wieniaw/