ポーランドについて

ヘンリク・ミコワイ・グレツキ

ヘンリク・ミコワイ・グレツキ

 

   世界中で発売されミリオンセラーとなった代表作、交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」は、ポーランド現代クラシック音楽として最大のヒットを記録しました。バーデン=バーデンの旧・南西ドイツ放送の依頼で書かれたこの作品は、1977年フランスのロアイヤン音楽祭で初演。ポーランドでは同年の「ワルシャワの秋」音楽祭で初演され、当時は賛否両論を巻き起こしました。

92年にデイヴィッド・ジンマン指揮、ロンドン・シンフォニエッタ、ドーン・アップショウ(ソプラノ)によるCDがノンサッチ社から英米で発売されたのをきっかけに、交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」が世界にその真価を認められます。クラシック音楽のヒットチャートで一位になるばかりか、Billboard 200ではニルヴァーナやスティングを上回る等、ポップス・ランキングにおいても上位を占めました。

グレツキ氏は1955年から60年に架け、カトヴィツェ音楽大学でボレスワフ・シャベルスキに作曲を師事。50年代から60年代に架けての初期作品は前衛そのものであり、後の作品では響きが単純化、鈍化され、ついに過去‐巨大な形式およびテクスチュアへ回帰します。その作風の分類は容易ではありません。「私はいつも自由だった。したいことをしてきたし、好きなところから吸収してきた。」(90年代初めの言葉)

第一にクラシックの偉大な作曲家、モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェン、シマノフスキ、ショパンを敬い、オリヴィエ・メシアン、チャールズ・アイヴズを学ぶと同時に、民俗音楽の自然な素朴さを愛しました。

重要であるのは、交響曲第3番に見られる明快さを攻撃されたところで、グレツキ作品は世界中で演奏され、録音されているという事実です。クロノス・クァルテットのために書き下ろされた作品も数多く、弦楽四重奏曲第3番の初演は2005年、ビェルスコ・ビャーワで開催されたポーランド人作曲家フェスティバルにおいてでした。2年後には、クロノス・クァルテットがカトヴィツェのアルス・カメラリス音楽祭に出演。グレツキ氏の弦楽四重奏全曲が演奏されました。「これらの曲が生まれた故郷、この町で演奏したかった。」(デイヴィッド・ハリントン‐クロノス・クァルテット創設者、ヴァイオリニスト)

グレツキ氏は1933年シロンスクに生まれました。「生まれる時代と場所を選べる者はいない。与えられた時代を精一杯生き、故郷を敬い、責任を持つことだ。」

作曲家としてのデビューは在学中の58年2月27日、5作品が初演されました。同年に開催された第3回「ワルシャワの秋」音楽祭では合唱と楽器群のための『墓碑銘』op.12が初演されました。67年にオーケストラのための『ルフラン』op.21でユネスコ国際作曲家会議第3位受賞。俗人に授けられる最高位の教皇勲章である大聖グレゴリウス勲章受章。2010年10月、ポーランド最高位の勲章である白鷲勲章を受章。9月から入院していたカトヴィツェの心臓外科病院で受け取られました。

「死ぬ前に、音楽とは何か知りたいものだ。最近は『音楽とは天からの客』と言ったレシェック・コワコフスキの言葉に同感している。」-カトヴィツェ音楽大学におけるクロノス・クァルテットとの公開リハーサルでの言葉。

現代ポーランドを代表する作曲家ヘンリク・ミコワイ・グレツキ氏が2010年11月12日、カトヴィツェで永眠されました。享年77歳。

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