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ユダヤ人を救ったポーランド人を知る①ヤン・カルスキ

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【ユダヤ人を救ったポーランド人を知る シリーズ①:ヤン・カルスキ】

ヤン・カルスキ Jan Karski(本名ヤン・ロムアルト・コジェレフスキ)― 1914年4月24日〔ウッチ〕~2000年7月13日〔ワシントン〕
戦間期のポーランドで、大学の法学部、外務省研修所、士官学校を卒業。大戦勃発後捕虜となるが、首尾よく脱走して、地下活動を始める。完璧な記憶力と諸外国語の知識を有する彼は、ポーランド地下国家の政治密使の義務を託された。
繰り返しフランス行きの特命を帯びた彼ではあったが、ついに、ゲシュタポに逮捕されてしまう。暴力的な尋問を受けた後、さらなる拷問を受ければ、ポーランドの地下運動に関する重要情報をドイツに暴いてしまうかもしれないと怖くなり、自殺を図った。助け出されて、刑務所病院に収容されたが、ポーランド軍事闘争連盟の援助で連れ出された。
1942年、ヤン・カルスキの名(その後彼は、常にこの名を用いることになる)で、新しい使命を果たすべく、英国と米国に出発した。彼の主要な任務の一つは、連合国軍に、ドイツ占領下におけるユダヤ人の悲劇的な情報を伝えることだった。関連情報を集める途上で、2度にわたってワルシャワ・ゲットーとイズビツァの中継収容所(ユダヤ人はそこから絶滅収容所に移送されていった)に侵入した。

現場を目撃した者のみが知る戦慄の事実を、多数のアメリカとイギリスの政治家・ジャーナリスト・芸術家に伝えた。英国政府の外務大臣、アメリカ合衆国大統領にも面会した。しかしながら、密使たる彼が行った、ユダヤ民族を救済すべしとのアピールは成果をもたらさなかった――対話を行った相手の多数は、彼の報告を信じないか無視したのだった。
ヤン・カルスキは、戦後、亡命者として米国に残る決断を下した。大学で政治学を学び、ワシントンにあるジョージタウン大学で博士号を取得した。その後さらに40年にわたって、母校で国際関係額と共産主義理論の講義を行った。彼の学生の中には、後に大統領となるビル・クリントンがいた。
生涯の最後の20年間、ヤン・カルスキは「遂行されなかった特命」に立ち返った。アメリカ、イスラエル、ポーランドの集会で、戦争中のユダヤ民族大量虐殺について、この悲劇に対する全世界の関心をかき立てようとした自らの試みについて、繰り返し物語った。

ヤン・カルスキは、権威ある賞を数多く受けている――「諸民族のなかの正義の人」の称号、ポーランド内外8つの大学の名誉博士号を授けられ、白鷲勲章(ポーランド最高の国家勲章)を受勲し、イスラエル名誉市民となった。自ら、ヤン・カルスキ&ポラ・ニレンスカ賞を設立した。この賞は毎年、ニューヨークのユダヤ調査研究所とワルシャワのユダヤ歴史研究所によって、ポーランドのユダヤ人の役割とポーランド文化への貢献を扱った刊行物の著者に与えられる。
また、日本では彼の著書「The Story of Secret State」の翻訳「私はホロコーストを見た」が2012年に刊行されいます。

(マチェイ・コズウォフスキ著『特使―ヤン・カルスキ物語』に依拠)
参考:http://instytut-polski.org/event-archives/4872/
コミックスは駐日ポーランド共和国大使館より。

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