ズィグムント・クラシンスキ Zygmunt Krasiński

ズィグムント・クラシンスキ Zygmunt Krasiński

ポーランドを代表するロマン派詩人・作家の一人。1812年2月19日パリ生まれ。1859年2月23日同地にて没。

生涯
ズィグムント・クラシンスキは由緒ある裕福なマグナート(大貴族)の家に生まれた。父親は軍人で、ナポレオン軍、ポーランド王国軍にいずれも将軍として参加、その後ロシア皇帝に忠誠を尽くした人物だが、ズィグムントの人生には政治的にもプライベートの面でも常に父の権威の影響がおよんでいた。ワルシャワ大学法学部に在学中、父親の政治的見地を支持して学生デモの連帯に一人背いたため学友らとの間に軋轢を生じたこと、十一月蜂起においては父クラシンスキ将軍がロシア側についたことを理由にズィグムントも退学を余儀なくされたことなどはまさに父の政治的影響といえる。また自らの結婚相手も父の選んだ見ず知らずの娘をあてがわれ、かねてより深い親交を重ねていたデルフィナ・ポトツカとの結婚はならなかった。そうした父と距離を置くべくフランスやイタリアで人生の大半を過ごすこととなった。ズィグムント自身、優れた知性の持ち主であり、教育にも恵まれたお蔭で数か国語の文学に通じ、政治的な知識や読みの深さには非凡なものがあった。このことは彼の遺した文学作品に限らず、夥しい数の書簡の中にも見て取ることができる。

ジュネーヴでは1829年ヘンリー・リーヴと、1830年アダム・ミツキェーヴィチと知遇を得、少なからぬ影響を受ける。1836年にローマで知り合ったユリウシュ・スウォヴァツキとは長年にわたる友好関係を保った。1859年2月パリで没したズィグムント・クラシンスキの亡骸は一家の所領地オピノグーラへ送られ、同地には現在「ロマン主義博物館」がある。

作品
最も重要な作品には『非‐神曲』(1835年)、『イリディオン』(1836年)などがある。階級闘争を独自の視点と手法で描き出した『非‐神曲』はミツキェーヴィチ『父祖の祭』とも比較されるべき戯曲で、ミツキェーヴィチ自身「スラヴ演劇最高の達成」を認めている。ローマ帝政の末期を描いた戯曲『イリディオン』は典型的なロマン派作品であり、ポーランドの殉教のイメージ形成に一役買った。