スタニスワフ・モニューシュコ Stanisław Moniuszko (1819-1872)

スタニスワフ・モニューシュコ Stanisław Moniuszko (1819-1872)

作曲家、指揮者、教育者。1819年5月5日ミンスク近郊ウビェル生まれ。1872年6月4日ワルシャワ没。「国民オペラの父」と称される。

生涯
母親に音楽の最初の手ほどきを受けた後、1827年よりワルシャワにてオルガニスト、アウグスト・フレイエルのもとピアノを学ぶ。1837年ベルリンに留学、同地の音楽協会「ジングアカデミー」会長のカール・フリードリヒ・ルンゲンハーゲンのもと和声・対位法・楽器法・指揮法を学ぶと同時に、合唱指揮やオペラのピアノ伴奏者を務める中、オペラやオーケストラ作品に関する知見を深めた。

3年の留学を終え帰国したモニューシュコは、ミレル家出身のアレクサンドラと結婚しヴィルノに居を構え、ピアノ教師や教会のオルガン奏者を務める傍ら、アマチュア合唱団を組織し積極的な演奏活動をするなど同地の音楽活動の活性化に寄与した。ペテルブルクへもたびたび訪問し、M. グリンカ、ダルゴムィシスキー、キュイといった優れたロシア人音楽家らと交友を持った。

1848年、ヴィルノで歌劇『ハルカ』の最初のヴァージョンである2幕版を上演、2幕改訂版を1854年にアマチュア演奏家らの参加により演奏した後、現在このオペラの代名詞ともなっている複数のアリアや舞曲を加筆するなどの大規模な改訂を経て1858年1月1日、ワルシャワにて4幕版の初演を行い大成功を収める。この後『ハルカ』は国際的な人気を博す。

『ハルカ』の成功を契機にテアトル・ヴィエルキの首席指揮者に任命されたモニューシュコはその後自らの作曲するオペラ作品を自らの指揮によってこの劇場で上演したほか、教会などでの合唱団の音楽活動も熱心に行った。1863年の1月蜂起に関連して自由な文化活動が妨げられるようになると彼の作曲家としての仕事も困難になっていったが、1865年に上演した歌劇『幽霊屋敷』は大変な熱狂をもって迎え入れられた。

モニューシュコの音楽はポーランド人社会に広く愛好され、国民的作曲家として親しまれた。スタニスワフ・モニューシュコは心臓発作で突然の死を迎え、ワルシャワのポヴォンスキ墓地に埋葬された。彼の葬儀は国民的デモンストレーションの様相を呈した。

音楽
モニューシュコは生涯を通してオペラから合唱・独唱歌曲にいたるまで、主にポーランド語を歌詞とする声楽作品を数多く残した。重要な作品には以下のものがある:

・歌劇『ハルカ』(2幕によるヴィルノ版)
・歌劇『ハルカ』(4幕によるワルシャワ版)
・歌劇『幽霊屋敷』
・歌劇『伯爵夫人』
・歌劇『士族に二言なし』
・〈おとぎ話〉(弦楽四重奏版および管弦楽版)  ほか

モニューシュコは生涯において合計278曲の歌曲を作曲したが、うち268曲は12巻からなる『家庭歌曲集』に収められている。芸術的でありながら比較的平易な旋律とピアノ伴奏からなる作品群となっており、歌曲集のタイトルどおり、各家庭で親しめる音楽を普及させることを目的としていた。ミツキェーヴィチやポル、クラシェフスキ、ヴィトフィツキといったポーランドを代表する詩人らの詩に曲を付けたものが多く、三国分割期のポーランドにおける一種の国語教科書的な役割も担ったと言える。〈紡ぎ女〉、〈春〉、〈野ばら〉、〈金魚〉など現在でもよく演奏される作品も多い。

関連事項
ワルシャワの国立歌劇場テアトル・ヴィエルキでは3年ごとに若き歌手(35歳以下)を対象としたコンクール「モニューシュコ国際声楽コンクール」が開催されており、モニューシュコの作品を含むポーランドの作曲家の作品と外国人作曲家の作品の両方が課題曲となっている。次回第10回コンクールは2010年、モニューシュコ生誕200周年の年に開催される。

モニューシュコ国際声楽コンクールhttp://teatrwielki.pl/en/activity/moniuszko-vocal-competition/